進化的悪意、ググってみました。

※偏見多いです。

ここ最近、陰キャと陽キャ、ヤンキーと気の弱い人など、人の性格を分類するような概念について考えることがあります。

ヤンキー的な考え方だと、犠牲を払って下働きをする人間は格下です。

僕の価値観だと、仕事サボってくっちゃべってる奴のどこが格上なのか理解出来ません。

人間関係を優位に運ぼうと苦心する人と、組織の利益を追求する人、社会全体の利益を追求する人など、同じ職場にあってもそれぞれの目的は違っています。

この手の愚痴は2週間前に散々書きましたが、今日は「進化的悪意」という面白い言葉を知りました。

利己的、利他的、協力的の他に、相手にも自分にも損をする行動を選ぶ場合があるそうです。

どうしてかというと、自分が痛みを被る代わりに相手にさらに痛みを与え、自身の相対的優位性を保とうとするからです。

人類の集合全体にとってマイナスな感情が、なぜ進化の過程で淘汰されなかったのかというところが面白いポイントで、この感情が支配するため、もしくは支配に抗うためのものだったりするからだそうです。

コストを支払って正義を執行し、悪人を懲罰しようとする行動も、「進化的悪意」によるものです。


この話の根拠とか、正確に理解出来てるかとかは全然分かりません。

ただ、人間は利益の追求、感動や芸術の追求の他に、支配との戦いも人生のテーマとして持っているのか〜という感想です。

僕、卑怯なヤンキーは嫌いだけど、漫画とかの真っ直ぐなヤンキーは好きで、その理由って支配への抵抗というところにあるのかもしれません。

「相手を支配したがる人」と「支配に抗う人」というのは、隠キャと陽キャみたいな、二分化的な考え方の一つかもしれません。

「支配したがる人」に対しては卑怯だなぁ〜と感じます。


利己的な人、自己中は集団の中でも目立つし爪弾きにされやすいので問題になりにくいですが、この「悪意があり支配したがる人」というのは上手に紛れ込んでると思います。

こう考えると、自己中は、その分本人が不利益を被っても当たり前だししょうがないとは思いますが、別に悪い人ではないのかなと思います。

自分優先で行動しないと生き残れない局面も多いですし。

ただ、選ぶ選択肢が毎回極端すぎると目立ちすぎだし、周りに迷惑かけすぎて良くないのでしょう。

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