外的動機で働くとは?
好きなことを仕事にする。
この考え方は、自分の内面にある動機を原動力にして働こうという考え方です。
外的動機で働く場合、この仕事に就くと儲かる、こうすると客ウケが良いなど、損得勘定や客観的分析を中心に行動を選択することになります。
先日のブログで、動画制作が自己満足を軸にしてしまっていることを書きました。
頑張った達成感とか、動画としての完成度、体裁を意識し、それっぽいものを作りたがっている。
それ故に、気合が入ってこない。
- 求めている結果(再生数)
- アクアリストとしての拘り
- 初級動画クリエイターとしての願望
この3つが自分の中で蔦のように絡まっているイメージがあります。
拘りや願望の方を、現実に擦り合わせて行くのが正しい人格育成だとツイッターの投稿で見かけました。
さっきの絡まった3つの動機の中で、現実の結果(収益、再生数など)のみが自力では捻じ曲げられない要素だからです。
良い結果は、「正しいアプローチ+確率」で到達するものです。
正しいアプローチは、頭の中のファンタジーのからは見つけ出せません。
今日このブログを書くまで、「外的動機を元に働く」ということについて間違った解釈をしていました。
仕事は仕事として割り切って、人格と切り離してしまうということだと思っていました。
例えば、オンラインゲームのプレイに人生を捧げている人です。
バーチャルとリアルを完全に切り離して考えて、日常生活を刑務所のように捉え、ゲームをプレイしている間だけ自己表現ができる。
現実に失望して見切りをつけ、ゲームにのめり込むパターンというのがあるのではないかと思います。(身近にそういう人がいないので間違った理解かもしれません。)
割り切るというのは、失望する、諦めるということなのかもしれませんね。
リアルとバーチャルで分かれずとも、仕事とプライベートで断絶している人は沢山いると思います。
僕も、パートで働いている時間は本気になるだけ無駄だと今では思っています。
頑張りすぎずサボり過ぎず、加減に悩みながら働いてます。
就ける仕事の中で最も儲かりそうなものを選ぶ。
↓
その仕事で結果が出せるような人格に修正していく。
↓
結果が出て、その仕事が好きになる。
この手順が今日考えていたことの結論ですかね。
転職活動しようという訳でもないんですが。
飲食店をやるとなった時に、お好み焼きが好きだからお好み焼き屋を開いてしまう。
客単価や市場規模が焼肉屋には及ばない。
店舗には商圏範囲があって、潜在的な顧客の数には制限がある。
これが好きなことを仕事に選択してしまった場合の失敗例?です。
もしも、お好み焼き屋で稼ぐぞ!と意気込んで開店した場合、覆しようがない原因が結果を阻みます。
儲からない職場はブラックになる傾向がかなり高いですし、予算がなくてやれることも少ないです。
薄利だと偉そうな客のことを接客するのも面倒くさくなりますが、沢山集客しないといけないので客を選ぶ余裕もありません。
贅沢する気がなくても、儲からなくていいやなんてことはあまりないんじゃないかなと思います。
貧乏でも幸せならいいやって考えてたことありましたけど、その考えだと老後はどうにもならないし、月10万じゃ賃貸で生きていけないし、何か未来の為に行動を起こそうにも資金がなくて何も出来ないです。
今回書いたことを自分にどう適用していくのかまだ決まってないので、また気が向いた時に考えてみます。
- 取り組んでいることを変えるのか?
- 人格や価値観の方を修正するのか?
- 煩悩を捨てられるのか?
もう一個、昨日悩んでいたのが、やるべきことはやらずに余計なことばっかりやってるなってことです。
余計なことをした時って、よく何かを傷つけたり壊したりします。
自分って悪い奴だなぁと思います。
やるべきことだけ真剣にやって、他のことはしない。
これが出来れば目標にもっと近づけるような…でも、それだと面白味のあるものは作れなくなるのでしょうか?…